初めまして、黒沢美月と申します。
このブログを訪れてくださり、ありがとうございます。
転職回数10回以上、何をしても続かない、時代に翻弄される
豆腐メンタル会社員ですが・・・
実は0からこっそりインターネットでビジネスを
スタートさせました。
こっそりというのは、
私の周りにはビジネスで起業している人もいず、人脈もなく、
大きな資金もなく、小さくスタートさせたからです。
また、私は・・・
・営業なし
・顔出しなし
・リスクほぼ0
・自動化できる(労働からの脱却)
というビジネスをインターネット上でしています。
インターネットでビジネスをしていると
それだけで怪しい、胡散臭い・・・
と思われがちです。
でも至って真面目です。笑
普段は会社員として働いていて時間もあまりない中、
1人で、特別なスキルもない私が、
自分の資産となるビジネスを始めたきっかけ、
私がどんな人間なのか、
ビジネスを始めるまでの経緯をここではお話します。
会社員としてだけ働いていた時は、会社に全てを依存していて。
でも自分でビジネスをスタートした今は
将来の不安、お金の不安も無くなりました。
お金(生活)のために働くのではなく、
自分の資産を手にして、
資産がお金を生み出すようにシフトしていく。
私は単なる労働ではなく、
本当に心から追求したいことに時間を注いで、
情熱を持って生き抜きたい。
ある方の言葉ですが、私の指針でもあります。
「一度きりの人生は濃く
そして美しく生きる」
まだ私の資産は成長段階です。
なので、その過程もこのブログで今後公開していきます。
今日はその始まりの話をさせていただきます。
第1章 逃げ続けた人生の先で
「自分探し」「天職」という幻想を追い求めて
一応大学は卒業した。
特にやりたいこともなく、何がやりたいかわからず、
周りと同じように就職活動をした。
リーマンショック後の就職氷河期だった。
40社ほど説明会や面接など足を運んだ中で、
運よく1社、なんとかIT企業に内定をもらった。
文系出身で、ITに興味はなかったけれど、
ITなら仕事なくならそう、稼いでいけそう、就活やめたい・・
という安易な考えだった。
でも社会人として会社で働くということは、
私にとって想像以上に過酷だった。
往復3時間の満員電車に乗っての通勤。
分刻みのスケジュール、鳴り止まない電話、クレーム処理の毎日。
IT系の資格とTOEICのスコアが評価につながる、
でも興味のない分野の勉強は進むはずもなかった。
全く心は動かされず、本を開けば、秒で睡魔に襲われる。
心を無にして、こなす業務。
自分がすり減っていく感じ。
「いつまでこんな生活が続くんだろう」
押し殺していたはずの感情が、いつの間にか、感情自体がなくなっていった。
気づいたら私はうつ病になっていた。
パニック障害を発症して、電車に乗ることができなくなった。
まだ入社して8ヶ月しか経っていなかった・・・
心身を病んだのは「自分に合ってない仕事だったからだ」
私は安易にそう考え、
そして「天職」という幻想にとらわれるようになり
転職を繰り返した。
今から思うと、うつ病になったのは仕事内容が原因ではなかった、
「自分」は探すものではない。
「天職」という言葉はイデオロギーだ、と思う。
派遣社員や正社員を行ったり来たり、海外に行ってみたり。
心身の弱さ、厄介な自我、仕事のやりがい、折り合いをつけて
自分のキャリアをどうにかこうにか作ろうともがいていた。

社会の歯車になれず・・・
そして、転期がまた訪れた。
コロナウイルス感染拡大。
その時、私はまた派遣社員で新たな仕事、
やりがいを感じられそうな仕事をスタートしたばかりだった。
業界も跨いで転職するといつも0からのスタート。
何度リセットしてきただろう・・・。
仕事の内容は楽しかった。
でも、年下の上司、人間関係で少し悩んでいた。
そんな中、突然の派遣契約終了。
あっけなかった。
おそらく、コロナの感染拡大で業態縮小、
職場での人間関係がうまく行っているとは言えなかったこと、
が原因だったと思う。
正直悔しかった。
自分から辞めるのではなく、派遣元から契約終了されることは
自分の存在が否定された気がする。
必要とされない人材。
また転職。
今度は正社員で、名の通った会社の社長秘書の仕事だった。
「これが最後の転職にしたい。自分のキャリアを積み上げたい。」
そういう思いが芽生えていた。
でも残業時間が月100時間を超え、3週間休みが取れなかった頃、
地下鉄の駅で、息ができなくなった・・・
私は倒れ、救急車で運ばれた。
命に別状があるわけではなかった、ただの過労。
とっくに心身ともに限界は超えていた。
白髪が急激に増え、片耳が聞こえなくなり、目眩がひどい。
大量の薬を飲みながら仕事へ行く。
やつれて小さくなった私に、
母が、「逃げなさい」と目に涙を溜めて言った。
悲しくないのに涙が流れる。
死んでしまうかもしれない・・・。
でも、こんな風にしか働けない、私には何もない・・・。
そう思うと自分の限界、人生の限界が見えた気がした。
退職願を出しても、受理されなかった。
ある夜、誰もいない社長室、
退職届と会社携帯を置いて、私は会社から逃げた。
もう何もかも、また、崩れてしまった。
社会に必要とされず、そして小さな歯車にもなれず。
フリーランスへの道のりと挫折
私はフリーランスの道を模索し始めた。
正直、転職活動はもうしたくなかった、疲れた。
聴力は回復したが、朝も起きられず、目眩がなかなか治らなかった。
電車通勤も恐怖だった。とにかく何も自信がない。
フリーランスになりたいと思っても、私には何のスキルもない。
数十万円投資して、オンラインスクールでWEBデザインやライティングなど学び始めた。
でも、フリーランスは自分から営業して仕事を取らないといけない。
そのオンラインスクールの受講している人の多さ、
「自分を売り込む」ということ、また自分がコンペで勝てる気がしなかった。
スキルがあれば稼げるというものでもない。
そして仕事をとれても締め切りに追われる生活。
どこも競争社会・・・終わらない労働・・・生きづらい。
何もやってもないくせに、素直に学んで行動できない、
できない理由や言い訳ばかり考える自分もいた。
結局、失業保険が切れる頃、私は何のスキルも身につけられていなかった。
また就職活動をしていた。
フリーランスへの道からも逃げていた。
第2章 資産となるビジネスモデルとの出会い
失敗だらけ、うまくいかないキャリア。
スキル0、人脈0。弱いメンタル、生きづらさを抱えて。
でも私は今、会社員として働きながら
インターネットの世界でビジネスを始めることができた。
転職した直後、やはりこのままではダメだと思っていた。
また会社員としての仕事を失ったら本当に私には何もないのだから。
天職探しはやめた。自分探しもやめた。
他人任せ、運任せもやめた。
自分の人生にやっと向き合い始めた。
色々と模索する中でコンテンツビジネスというものを知った。
営業しなくても稼げる、
一生もののスキル、自動化してお金と時間が手に入るビジネス。
はじめは、怪しい、よくわからない、と思った。
私は思い切ってまた自己投資し、学んでみることにした。
学んでみると、とてもシンプルだった。
自分の資産を作っていくビジネス、私にはこれしかない、と感じた。
そして、本当の意味で自由になるための一歩を踏み出した。
これが私がビジネスを始めたきっかけでした。
誰でも、いつからでも、スタートできる
お金を得る手段というのは会社員だけではない、
でも、起業なんて私にはできないと思っていました。
Webデザインなどのフリーランスへの道は挫折してしまって
30代になり、転職回数は10数回を超え、会社では相変わらず平社員。
私のようにキャリアがうまく形成できなくても、
社会不適合者でも、
メンタルが弱くても、何もなくても、
0からでもやっていけるビジネスがあります。
年齢は関係ありません。
時代の波に翻弄されることはこれからもあると思います。
そんな中、
会社に依存しない稼ぐ力、
一人で生きていくための資産、
があればかなり生きやすくなると思います。
私は同じ失敗をして、逃げて、0になって、
今も特別な何かがあるわけではありません。
でも私は、ビジネスを始めて、
思考や生活が本当に変わりました。
今、私は自分の知識と経験を全て詰め込んで、
会社で生きづらさを感じている方、将来の不安を感じている方、
本当の自分の資産を積み上げていきたいと思っている方に、
会社に依存しない本物の稼ぐ力と、
自身の「資産」となるビジネスについて、
そのビジネスのはじめ方について、
メールマガジン型サロンでお伝えすることにしました。
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